中国美術 Art of Chinese
中国美術を学びたい人のための入門書

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文人画・山水画

山水画と文人画を説明しています。

山水画の始まり

山水画は、人物、花卉翎毛などとともに、中国絵画の重要な美術です。

人物画や花鳥画に対し、渓谷、山や川といった自然の風景を幽玄な雰囲気で描く画風が特徴で、唐代の王維(詩・書・画の「三絶」を極めた)、李思・李昭道父子、呉道玄に始まり、当滅亡後の五代(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)の頃、確立されました。

五代時代に活躍した作家としては、華北の荊浩、関同、李成、江南の董源と巨然が有名です。華北の作家が描く、力強い筆使いの絵は北方の風土から生まれ、淡い水墨で自然を表現する江南の作家は水郷風景をモチーフに取り上げています。

中でも「皴法(岩や堤、樹木の襞を、毛筆さばきによって立体的に表現する独特の技法)」のひとつである「披麻皴」を用いて、江南の豊かな自然をとらえた董源、その弟子の巨然(董巨派)、「煙林平遠(寒林平遠とも呼ばれる。平遠とは、たとえば山の連なりを遠くから眺めることで、広大なパノラマが展開する山水画の遠近法)」を得意とした李成多くの画家に支持され、のちの時代にも大きな影響を与えました。

士大夫など、当時の知識人が広めた文人画

宋代に入っても、山水画は中国の代表的な画題として継承されていきます。特に北宋時代は書画のみならず、様ざまな文化・芸術の隆盛期でもありました。

なお、現在に続く陶磁器の産地「景徳鎮」が生まれたのも宋代です。芸術を好む皇帝たちの庇護のもと、宮廷画家の養成機関「翰林図画院」は活気を呈し、山水画では范寛・郭煕・李唐らが活躍しました。

この時代は、それまで文化を支えていた貴族が没落。これに代わって政治・経済・文化の中核となったのが、科挙(男性なら誰でも受験できた官吏登用制度)に合格して上級官僚となった「士大夫」です。

士大夫は書と画を好み、自ら制作も行いますが、宮廷画家の「院体画(主に花鳥を題材とし、写実と色彩を重んじた画風)」に対し、山水を自由な筆致で描いた彼らの書画を「文人画」といいます(文人とは儒教、文学の知識と教養を備えた知識人のこと)。文人画の作家としては、北宋の蘇軾、李公麟、米芾、南宋の梁楷、牧谿が有名です。

南宗画を最高のものとした「董其昌」

次の明王朝では唐・宋の制度を採り入れますが、当時の宮廷画院の画風は皇帝の趣味に影響されるなど、あまり充実したものではありませんでした。この時、画院に所属した画家は浙江省・杭州の出身者が多かったため「浙派」と呼ばれます。

浙派は戴進を祖とする、南宋・院体画の流れをくむ北宋画の職業画家集団でしたが、これに対して蘇州出身の沈周を中心とする「呉派」は「元の四大家」の流れを組む南宗画系の山水画が特徴です。呉派の作家には、文徴明をはじめ、仇英、唐寅、徐渭、謝時臣らがいます。

唐代からの続く文人画の系譜を「南宗画」、職業画家の系譜である院体画を「北宗画」と名付けたのは、末の官僚で、文人画の大家でもある「董其昌」です。董其昌は両者を比較し、南宗画を最も優れたものとしました。そのため中国絵画においては、南宗画(文人画)が主流であるとされるようになりました。

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