中国美術 Art of Chinese
中国美術を学びたい人のための入門書

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書画

中国の書画について解説していきます。

中国書道の始まり

中国に文字が生まれたのは約3500年前。亀の甲羅や動物の骨に刻まれた「甲骨文字」が最古の漢字として確実なものであるとされています。その後、青銅器に記された「金文」、石に彫られた「石鼓文」を経て、約2000年前、筆と墨を使って文字を書くようになったと考えられています(諸説あり)。当初文字は実用として使われていましたが、時代と文化の変遷に従って書体も変わり、文字を美的に表現する芸術が生まれました。これが書画(書道)のはじまりで、中国では身分の高い者が身に着けておく教養「六芸(礼:礼節、楽:音楽、射:弓術、御:御者技術、書:文学、数:数学)」のひとつとされてきました。

なお、紀元前2500年頃、黄帝の史官であった蒼頡が鳥の足跡から文字(鳥跡文字、蝌蚪文字と呼ばれる)を創成したという記録も残っています。しかし、これについては確実な資料が発見されていません。

書道の成立と進歩

中国の書道の成立は、璽印文(印章文字)や貨布文字が使われるようになった春秋~戦国時代にさかのぼります。璽印文や武器に「鳥書」と呼ばれる鳥などを組み入れた装飾的な書体が混じるようになり、貨幣に文字が刻まれたことからも、文字が為政者や権力者だけでなく、民衆にも広がったことが推察されます。その後、秦の時代には、始皇帝が丞相の李斯に命じ、文字の統一を行います。その時使われたのが「小篆(秦篆・玉筯篆ともいわれる)」で、さらに小篆を簡略化し、簡単に書ける「隷書(古隷)」も使用されるようになりました。

元興元年(105年)、後漢の蔡倫が竹簡や木簡、絹布に代わり、樹膚・麻くず・ぼろきれ・魚網を使った「紙」=「蔡侯紙」を発明(現在では紙の改良者とされている)。この紙はヨーロッパ、日本にも伝わり、文化の進展はもちろん、書道の発展をも促します。さらに数多くの能書家を輩出するきっかけにもなったのです。

中国の代表的な書家

中国を代表する主な書家としては、有名な王義之、王献之のほかに、張芝(後漢時代):骨力があり、表現が豊かな草書を書き、「草聖」と称されました。

鍾繇(魏):武帝(曹操)の宰相。公式書体に代表される、八分・隷書(楷書)・行書の三体を得意とした。書には「宣示表」「薦季直表」「力命表」など(ほとんど伝承作品で不確実)。
初唐の三大家(唐):唐の初期に活躍した政治家であり、書家の虞世南、欧陽詢、褚遂良を指す。虞世南の「孔子廟堂碑」は欧陽詢の「九成宮醴泉銘」とともに「楷書の極則」とされる。褚遂良は隷書(楷書)に通じ、代表作は「雁塔聖教序」ほか。なお、唐代中期の政治家、書家で、特徴的な書法「顔法」で知られる顔真卿を合わせて「唐の四大家」とします。

宋の四大家:宋代を代表する文人、書家の蔡襄(各書体に通じ、飛白で草書を書き、それを飛草と呼んだ)、蘇軾(詩は宋代第一。文は「唐宋八家」の一人)、黄庭堅(草書を好み、詩人としても有名。江西詩派の開祖)、米芾(書画の蒐集、鑑定、臨模を行い、「書史」などの執筆。これらは重要な資料となっている)を指します。

趙孟頫(元):詩文や音楽にも精通、特に書画に優れた才能を発揮。書は智永の千字文を臨書、楷・行・草書は二王(王義之、王献之)を学びました。

また明の書家には、三宋二沈(三宋は宋克・宋璲・宋広、二沈は沈度・沈粲)、呉中派(沈周・文徴明・祝允明・王寵・陳淳など)、董其昌、張瑞図、黄道周、倪元璐、傅山、王鐸、
清の主な書家としては、劉墉、鄧石如、翁方綱、呉熙載、楊沂孫、趙之謙、呉昌碩、康有為、何紹基といった人たちがいます。

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