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景徳鎮で美術品が発展したのは?

景徳鎮で美術品が発展した理由を解説していきます。

宋代に隆盛を迎えた中国のやきもの

中国では、早くからやきものが作られていました。1万年以上の歴史を誇り、新石器時代にはすでに「彩陶」「紅陶」「白陶」が作られ、時代が下がると「黒陶」も登場します。殷の時代には「原始青磁」とも呼ばれる「灰釉陶」も現われ、戦国時代になると始皇帝陵の兵馬俑に代表される「灰陶」「加彩灰陶」も数多く作られました。

浙江省北部の「越窯」において、青磁が本格的に製造されるようになったのは後漢時代です。

唐時代には、「加彩」「三彩」が多く製造され、また隋時代から作られていた白磁が、「定窯」でも生産されるようになります。越窯では青磁の生産を続けており、「秘色青磁」と呼ばれる最高級品も生まれました。

宋代になると、白磁や青磁などの磁器製造技術が進みます。江西省の「景徳鎮」を中心に陶磁器の生産(窯業)が盛んになり、「宋磁」と呼ばれる中国陶磁器の全盛期となりました。

景徳鎮の歴史と特色

世界的に有名な陶磁器の名産地「景徳鎮」は、古くは昌江の南岸にあり「昌南窯」といわれていました。

漢代には存在したという説があり、また六朝時代の宮殿の陶礎を焼いたという伝説も残っています。景徳年間に良品が生産されたことから、1004年、北宋の皇帝真宗が「景徳」という名を授け、官窯の「景徳鎮窯」となったそうです。

景徳鎮で製陶業が発達し、世界的有数の名産地となった理由には、「良質な土と窯の燃料になる松が豊富」「製品を運ぶための水運が盛んであった」などがあげられます。宋では白磁・青磁の製造が主流でしたが、白色素地に淡青色の釉をかけ、青みを帯びた色合いを出した「影青(青白)」は、特に景徳鎮のものが優れていました。

元代になると白地にコバルトで直接絵付けをし、透明釉をかけて高火度で焼成する「青花」の技術が完成。酸化銅を顔料とする「釉裏紅」も製造され始めます。鮮やかな青の発色が美しい青花は、中近東はじめ、世界中へ大量に輸出されました。

現在も生産を続ける景徳鎮

明時代の景徳鎮では、染付に加えて、「赤絵(多色を用いた陶磁器)」といわれる、華やかな作品も生み出されるようになります。

景徳鎮の陶磁器は世界各国へと運ばれ、王族や貴族はもちろん、広く使用されるようになりました。なお景徳鎮は明と、その次の清において、官窯として保護されています。

景徳鎮では現在も陶磁器生産を行っています。国営工場として運営されてきましたが、最近は民間工場が進出。国営工場の民営化がはかられているそうです。近年は観光で訪れる人も多く、「景徳鎮湖田古窯遺跡陳列館」「景徳鎮民窯博物館」などで、様ざまな展示を見ることができます。

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