中国美術 Art of Chinese
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五代十国・宋

五代十国・宋の歴史と美術を説明します。

唐の滅亡と五代十国

長く栄華を誇った唐も、「武韋の禍」の混乱を収束、開元律令の制定などで「開元の治」を築いた玄宗が楊貴妃を溺愛したことから、その安定に陰りが見え始めます。玄宗は政治を顧みなくなり、また楊貴妃の一族・楊氏が実権を握ったため、それに不満を唱える節度使・安禄山が「安史の乱」を起こし、唐王朝を動揺させることとなりました。それでも唐は、その後も約1世紀に渡って存続しますが、907年に滅亡。唐末の反乱軍から台頭した「朱全忠」が後梁を建国します。これ以後、宋が中国統一までの分裂期を「五代十国」といいます。五代とは、後梁・後唐・後晋・後漢・後周の五王朝、十国とは各地に興きた、呉越・南唐・前蜀・後蜀・呉・閩・荊南・楚・南漢・北漢などの十王朝を指します。

さまざまな大衆文化の登場

五代十国の争乱を制したのは後周の司令官であった趙匡胤です。趙匡胤は皇帝(太祖)に即位して「宋」を建国します。趙匡胤と弟で二代皇帝となった趙匡義(太宗)は中国を統一。宋は文治主義を取り、官僚制を整備して皇帝専制政治体制を作り上げます。しかし、北方の遼・金との緊張関係は続き、1127年、金軍に首都を占領されて滅亡。皇帝一族は江南に移り、南宋を建てました。

北宋と南宋を通じ、商工業の発達、朱子学の成立など、人々の生活や文化にも発展が見られます。特に、それまで貴族階級が持っていた文化の主導権を地主、官僚などの士大夫(科挙に合格して上級官僚となった人)らが握り、庶民性を持つようになります。また、経済が発展したこともあり、歌舞曲、演劇、講談などの大衆文化も誕生しました。

絵画とやきものが驚異的に発展

美術分野では、北宋皇帝の徽宗、宮廷画院の画家、南宋の夏珪、馬遠などによる色鮮やかで写実的な院体画、そして士大夫らが余技として書と画を好み、主として山水を題材に幽玄の世界を描いた水墨画の「文人画」という2流派が現れます。なお文人画では北宋の蘇軾、李公麟、米芾、南宋の梁楷、牧谿らが知られています。

さらに陶磁器が目覚ましい発展を遂げ、今も続く景徳鎮が官窯となったのも宋の時代です。各地の窯では青磁・白磁を中心に、壺や花瓶だけでなく、飲茶用の茶碗や食器用の皿など様ざまなやきものが作られ、日本を含めて海外にも輸出されます。これらを総称して「宋磁」といいます。特にヨーロッパでは「陶磁器=チャイナ」と呼ばれ、上流階級を中心に広まっていきました。

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