これから中国美術について知っていきたい人から、趣味にしたい人まで。中国美術を学びたい人のためのサイトです。
時代、ジャンル、中国美術を極めたい人向けの記事を豊富に用意しております。あなたが中国美術に触れる際の、お役に立てる入門書となりますように。
このサイトは本郷美術骨董館をスポンサーとして、Zenken株式会社が運営しています。
こちらのページでは、日本とも深いゆかりを持つ書家・愛新覚羅溥傑について紹介しています。どのような人物であったのか、またどのような作品があるのかといった点をまとめました。興味のある方はぜひ参考にしてください。
愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら ふけつ)は、中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅 溥儀(ふぎ)の実弟であり、書家としても知られる人物です。
溥傑が4歳の時、清朝が滅亡したことから王族の身分を失いましたが、その後1929年に来日して日本語などを学習した後に学習院高等科に入学。そして陸軍士官学校、陸軍歩兵学校、陸軍大学校で学んでいます。
溥傑は1937年に昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨 浩と結婚してふたりの子どもをもうけました。その人柄は、陸士時代は厳しい訓練にも耐え抜く強い精神力を持っていながらも心優しい性格であり、非常に家族思いの人物であったといわれています。
また溥傑は、新婚時代に現在の千葉県稲毛市天台にあった陸軍歩兵学校に在籍していた関係から半年ほど千葉市稲毛区に居を構えていた時期もあります。その住まいは「千葉市ゆかりの家・いなげ(愛新覚羅溥傑仮寓)」という名称にて千葉市地域有形文化財として保存されています。
愛新覚羅一族は芸術家が多いことでも知られていますが、その中でも溥傑は書家として多くの人に知られており、今も人気が高い書家のひとりです。流水を思わせる独特の書体を特徴としています。享年87歳。
1974年12月に愛新覚羅溥傑・浩は再び日本を訪れています。妻である浩にとっては13年ぶりの里帰りとなったこの時、訪日に際して日中の友好が深まることを願って詠んだ漢詩を記した作人となっています。寸法23.3×26.2cm。
1975年に書かれた溥傑の書と、1978年に詠まれた妻の浩の和歌が組み合わせられた作品です。溥傑が書いた2種類の事態の「寿」により、浩の詠んだ和歌を挟むように配置されています。この和歌には「自信が日本と中国をつなぐかすがいとなることに命をかける」という浩の両国への想いが込められています。全長25.5×92.0cmの作品。
監修本郷美術骨董館
「やさしく解説!みんなの中国美術入門」は、骨董品買取の専門店として40年以上の実績を誇る本郷美術骨董館が監修しています。
公式HPはこちら