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顔真卿(がん しんけい)

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唐の時代「顔法」と呼ばれる書法を新たに編み出し世に知らしめた、破天荒な書家として顔真卿(がんしんけい)は知られています。代表作である「顔勤礼碑」はバランスを考えずに、大胆に力強い文字で書く顔法の特徴が最も表れており、評価が二分されました。書家としても政治家としても、力強く生きた顔真卿。今でも人々に愛される理由を、生い立ちや業績、人格を調べて解き明かしていきましょう。

「唐の四大家」顔真卿の生い立ち

顔真卿は、初唐の三大家(欧陽詢、褚遂良、虞世南)とは活躍した時期は異なります。しかし、中国美術の書に大きな影響を与えたため、三人と共に「唐の四大家」と呼ばれました。

山東省の生まれで、学問が優秀だった顔真卿は監察御史(官吏の監視役)に任命され、それ以降も数多くの諸官を歴任し、四代の皇帝に仕えるほど厚い信頼を受けたそうです。

755年に安禄山の乱が起き各地が降伏する中、一族と共に安禄山に対抗し、唐王朝を救った立役者となります。しかし、その戦いで一族の多くが亡くなり悲しんだ顔真卿は、彼らを追悼するために「祭姪文稿」を記しました。これは後に歴代の中国皇帝が至宝として管理したそうです。

783年、敵対していた李希烈に捕まります。部下になってほしいと説得されましたが、断り続けたため、処刑されました。この最期から、実直な性格と厚い忠義が尊ばれ「忠臣烈士」と呼ばれるようになり、忠臣の代表として後世にも影響を与え続けているのです。

代表作

  • 顔勤礼碑(がんきんれいひ):乾元2年(759年)もしくは大暦14年(779年)

    曽祖父・勤礼のために作られた神道碑(死者の生前の功徳を記した墓碑)。それまでの「美しい」と思わせる文体に反発して作った、力強さとおだやかさを兼ね備えた独自の書法「顔法」を学ぶ上で最も重要な資料だと言われています。1文字ごとのバランスを考えず、筆の勢いに任せて書かれました。そのためダイナミックな印象を受ける人と、醜いと感じる人に評価が二分されている作品です。

  • 顔氏家廟碑(顔惟貞廟碑)(がんしかびょうひ):建中元年(780年)

    顔真卿が72歳のときに書いた楷書。亡くなった父・惟貞のために廟を作り、顔家の歴史を記した碑文です。1字1字が重々しく力強い線で構成されていて、頑固で正義感の強かった顔真卿の人物像を感じられる作品と言えます。

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