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幼くして父を亡くし、高校を中退して独学で書画を学んで、やがては中国書法家協会の重鎮となった啓功。その名はつとに知られ、日本でもたくさんのファンに尊敬されています。このページでは、そんな近現代を駆け抜けた書画の巨匠の生き様、思想、書風について解説します。
啓功は北京市出身にして清朝雍正帝の九代目子孫として生まれた、書家・画家です。詩文・中国画を中心に多彩な才能に恵まれ、教育者、古典文献学家、文物鑑定家、紅学家としても活躍しました。そんな賢人の誉れ高い啓功ですが、自身が生まれた翌年(1913年)に父を亡くし、9年後には曽祖父、翌年に祖父を亡くすなど、苦労多き幼・少年時代を過ごします。
一方、4歳から私塾へ通って詩文を学ぶなど、早くから文芸の世界に親しんでいました。小中学自体は読書にいそしんで文学の教養を育み、1927年(15歳)より画家の賈羲民と呉熙曾に師事して、書道と中国画を学ぶようになります。
1930年には中国古典文学、1933年には考證学を学び、1935年に輔仁大学美術系助教に着任。以降、教育者としての人生が始まり、輔仁大学国文系講師、兼任故宮博物院専門委員、輔仁大学国文系副教授兼北京大学博物館系副教授、北京師範大学副教授、教授、中央文史研究館館長、博士研究生導師など、学界にて数々の要職を歴任します。
また、中国人民政治協商会議全国委員会常務委員、国家文物鑒定委員会主任委員、国家文物鑒定委員会主任委員など、党や国家機関の要職も務めました。2005年6月30日、北京にて病没。享年93歳。
『古代字体論稿』『詩文声律論稿』『啓功叢稿』『啓功談中国名画』など多くの著書も残し、ユーモアのある書画家として大成したした生涯だったといえるでしょう。
知名度を誇る画家ですが、愛新覚羅(清の皇帝の苗字)を名乗らず、自分の力でここまでの地位に上り詰めた啓功。人気ゆえにかなりの偽物が出回っているため、売却には注意が必要です。ちなみに啓功自身は自らの作品の贋作を見て、怒りもせずに「私よりもうまいね」と言ったのだとか。
啓功が書家として活躍の場を広げたのは、1960年代後半に始まった文化大革命の頃です。当時から書道に精通していた啓功でしたが、秀でた才能を見込まれ「大字報」(文革の正当性を宣伝する新聞)の制作者に抜擢されます。以降、文革が終わるまで多忙な日々を送りますが、啓功はそのさなかに独自の書風を獲得したといわれています。
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