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蘇軾(そ しょく)

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北宋時代で最高の詩人として名前が挙がる人物の一人です。父の蘇洵(そじゅん)、弟の蘇轍(そてつ)と合わせて「三蘇」と讃えられました。また、自ら「東坡居士」と称したため、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれていました。

豚の角煮「東坡肉(トンポーロー)」は、蘇軾が左遷されたときに書いた「食猪肉」という詩からつけられたという説もあります。

「三蘇」蘇軾の生い立ち

蘇軾は22歳で、弟・蘇轍とともに科挙に合格しました。この年に行われた科挙は欧陽脩が監督を務めており、はやりにとらわれず持論を理解してもらえるよう丁寧に文を紡いだものだけを合格させるよう改革を行ったといいます。この難関を突破したのは、蘇軾・蘇轍の兄弟と、曽鞏の3名のみでした。

科挙に合格して進士となった蘇軾ですが、王安石が打ち出した新法に反対したため、しばしば左遷されていました。

黄州へ左遷されたときに左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら「東坡居士」と名乗ります。黄州での生活はおよそ5年。自ら荒地を開墾しなければならないほど貧窮した生活を強いられました。

しかし、この経験は彼自身の芸術性をより鋭いものにしたきっかけでもあったのです。黄州時代には、のちに傑作と讃えられる「赤壁賦」を書き上げました。

代表作

  • 黄州寒食詩巻(寒食帖)(こうしゅうかんじきしかん):元豊5年(1082年)
  • 黄州に流された身の上の不遇を歌った2首です。いずれも黄州で3度目の寒食節を迎えたときに書かれました。

    落款はありませんが、弟子であり「詩書画三絶」と讃えられた黄庭堅の跋(黄州寒食詩巻跋)があり、どちらも傑作と評されています。

  • 赤壁賦(せきへきのふ):元豊5年(1802年)
  • 朗誦文学のひとつ「賦」の傑作と呼ばれる作品です。黄州に左遷された蘇軾が、同年7月に長江で客人と舟遊びをしたときの様子を記したものです。

    同年10月に続編がつくられたので、「前赤壁賦」「後赤壁賦」と分けて呼ばれることもあります。いずれも舟遊びの楽しさを描きつつ、赤壁の戦いを偲び、自然の厳しさと人生のはかなさを見事な筆で表現しています。

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