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政治家、書家、教育家、詩人、ジャーナリストと多彩な顔を持ち、清末から中華民国にかけて85年の人生を駆け抜けた于右任(う ゆうじん)。辛亥革命に身を投じた人物として政治的に名を馳せる一方、『涇原故舊記』『變風集』『右任詩存』『右任文存』など様々な著作も残し、文人、書家としても広く知られています。于右任とはどのような人物だったのか、数々の作品はどのように誕生したのか、その経緯や背景を追ってみました。
書家としての于右任の実像を知るには、彼の政治家(又は革命家)としての人生を知る必要があります。なぜなら、数々の作品を生み出してきたモチベーションや着想は、于右任の政治家としての理念に端を発していると考えられるからです。
その于右任は、清朝末期の1879年、清陝西省西安府三原県で生まれました。1903年には癸卯科挙人となり若くして才覚を見せますが、反体制的な言動により清朝の指名手配を受け、1904年から上海に隠れ住むことになります。
3年後の1906年には日本へ留学し、孫文を中心に結成された清朝打倒を目指す革命運動「中国同盟会」に加入。これを皮切りに、『神州日報』『民呼日報』『民立報』など紙面媒体を次々に創始し、革命派としての言論・思想発信を強化していきます。
1912年1月、南京で中華民国臨時政府が設立。于右任は交通部次長に任命されます。以降、国共内戦の終盤、1949年に台湾へ逃れるまで、于右任は政府、党の数々の要職を歴任しながら、中華民国の建国と繁栄に貢献しました。またその傍ら、歴代の草書をまとめて「標準草書」を創始するなど、文化人として多くの優れた作品を残しています。
1964年11月10日、于右任は台北市にて死去。享年は86(満85歳)。中華民国建国当時の革命家として多端の人生を生き抜きながら、書・漢詩において優れた作品を残し、文化人としても名を馳せた于右任は、特異な人間力を兼ね備えた人物だったといえるでしょう。
そんな于右任の作風は、何よりも「自然体」。奇をてらったり意図して崩したりせず、自然な形で流れるように書かれる文字には多くの人が魅了されています。
于右任の次男、于彭(字は仲岑)によると、1930年~50年代に書かれた作品で、「人に請われたのではなく、自分の楽しみのために書いた」とのこと。きめこまかく光沢のある玉版箋を用いて書かれており、見事な筆跡が見られます。
于氏と親しい間柄だった、何応欽(1889-1987)氏収蔵の一作。立派な筆跡もさることながら、用紙へのこだわりも見られ、両氏の親密ぶりが伺える作品です。
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