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故宮博物院と中国美術

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故宮博物院と中国美術の関わりを解説していきます。

「世界四大博物館」に数えられる博物院

「国立故宮博物院」は、中華民国(台湾)の有名な観光地で、台北市にあり、数多くの資料を所蔵しています。ここはフランスの「ルーブル美術館」、アメリカの「メトロポリタン美術館」、ロシアの「エルミタージュ美術館」と並ぶ、「世界四大博物館」のひとつ。古代から近代まで、約70万点の貴重な資料が収蔵されています。ただし、常時展示品は有名な宝物を含む、およそ6000~8000点。数ヶ月おきに入れ替えられているので、すべての作品を見終わるまでには、最低10年はかかるとのことです。

故宮博物院には膨大な所蔵品があり、その種類も多種多様。磁器、玉器、銅器、絵画が多く、 これに法書、琺瑯器などが続きます。ほかにも彫刻、文具、銭幣、法帖、絲繍、成扇、印拓、善本書籍、法器など様ざまな品が収められているのです。また満蒙清宮档案文献(清宮廷公文書)、満蒙蔵文文献(満州、チベット、モンゴル語文献)といった、歴史を識る公文書も見ることができます。

戦火を逃れた貴重な文物の数々

故宮博物院の歴史は、清の滅亡に始まります。中華民国は、清朝最後の皇帝・溥儀を紫禁城から追放し、1925年に紫禁城を故宮博物院とします。人々は歴代皇室と宮廷が所蔵していた貴重な文物を見ることが可能になり、また博物院は中華の文化遺産を末永く後世に伝える施設になったのです。

しかし、1937年には、盧溝橋事件から日中戦争が勃発。戦火を逃れるために博物院の文物は避難を余儀なくされ、重慶、明、楽山をめぐり、四川省南渓の李荘に安置されます。1945年、第二次世界大戦が終結すると、奥地に移されていた文物は南京へと運ばれました。

1948年、蒋介石率いる国民党中央政府は、故宮博物院および中央博物院籌備処の文物を台湾へ移すことを決定します。台湾に運ばれたのは2972箱でしたが、これらは北京から南遷した文物の22%に過ぎませんでした(※)。
※参照元:国立故宮博物院[National Palace Musium ] | 台湾観光-台北ナビ(https://www.taipeinavi.com/miru/5/)

必ず見ておきたい「肉形石」と「翠玉白菜」

台湾の故宮博物院では、戦火を逃れた貴重な文物を見ることができます。中でもよく知られているのは、302展示室にある「肉形石」と「翠玉白菜」です。前者はまるで赤身と脂身が混じった、美味しそうな形状。豊かな質感を持つ石材を加工し、磨いて表層面を染色した職人の技には驚くばかりです。後者は玉巧彫の中でも傑作といわれる、天然の翡翠と玉の混ざり加減を巧みに利用した彫刻。翠玉白菜の上には、多産を象徴するキリギリスとイナゴが止まっています。これは、光緒帝の妃・瑾妃の寝宮にあったことから、多産を願う嫁入り道具だったのではないかと考えられています。

なお、紫禁城(北京市)にも「故宮博物院」があり、もとの宮殿であった所を博物館にしています。

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