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絵画

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中国美術の1つ・絵画に関して詳しく紹介していきます。

中国絵画のルーツと顧愷之

中国で絵が描かれ始めたのは先史時代。世界各地にみられるように、人物や動物ほかを描いた土器や岩壁、洞窟などが発掘、発見されています。

殷周、春秋戦国時代になると、青銅器や銅鏡などに文様や装飾が施され、権力者の墓に壁画が描かれるようになりました。現在のような「絵画」の制作が行われるようになったのは秦~漢時代と考えられ、当時は「帛画」と呼ばれる平織りの絹に描かれたものでした。

魏晋南北朝時代の4世紀後半、書家の王羲之と並び、六朝(漢民族の六つの王朝、呉→晋(東晋)→宋→斉→梁→陳のこと)文化を代表する画家・顧愷之が登場します。

東晋に仕えていた顧愷之は肖像画、人物画に優れており、絵画作品だけでなく、「論画」「画雲台山記」といった画論も記しています。代表作はロンドン大英博物館の「女史箴図」、ワシントン・フレア美術館に収蔵されている「洛神賦図」ですが、いずれも模写で、真筆は残されていません。特に生き生きとした人物を描いた「女史箴図」は、当時の宮廷生活の風俗を伝える傑作と評価されています。

また、画家で評論家の謝赫(南斉)は中国史上初の画論書「古画品録」を著し、顧愷之の画論を発展させた「画の六法(気韻生動、骨法用筆、応物象形、随類賦彩、経営位置、伝移模写)」を提言しています。

山水画の隆盛

唐の時代、中国の絵画は変遷期を迎えます。唐の半ばまでは彩色画、人物画・花鳥画が主流でしたが、それ以後になると、山や川、渓谷といった自然の風景を、幽玄な雰囲気で表現する「山水画・水墨画」が描かれるようになります。

この頃、人物をはじめ、山水、神仙、仏釈などを描いて「唐朝第一」とうたわれたのが、職業画家として玄宗に仕えた呉道玄です。呉道玄は若い頃から絵画の才能を発揮。力強く変化に富んだ画風で長安や洛陽の寺観壁画に腕をふるい、「画聖」と呼ばれます。また、山水画の画法に変革をもたらし、中国、日本の画家に多大な影響を与えました。

その後、山水画は中国の代表的な絵画となり、宋代には士大夫層出身の文人(儒教の学問と文学の教養を備えた、当時の知識階層)によって愛好、制作されるようになります。

これらは宮廷画家の院体画(唐の玄宗の時に創設された、絵の製作機関「翰林図画院」で発達した画風)に対し、「文人画」と呼ばれました。元代には貴族文化の衰退で一時下火になったものの、趙孟頫により復興。元末になると黄公望、王蒙、倪瓚、呉鎮の「元末四大家」が登場し、山水画の様式が確立されます。

明末になると、文人画の代表的作家・董其昌が現れ、唐代からの文人画の流れをくむ系譜を「南宗画」、職業画家の系譜の「院体画」を「北宗画」と名付ける「南北二宗論」を提唱します。董其昌は、その中で南宗画が優れていると説き、それから中国絵画においては「南宗画(文人画)」が主流であるとされるようになりました。

代表的な画家は王時敏、王鑑、王翬、王原祁の4人で、彼らは「四王」と称され、さらに呉歴と惲寿平を加えて「四王呉惲」ともいわれます。董其昌の影響力は大きく、この南宗画を優位は清時代も続きました。

しかし一方で、清時代には龔賢らの「金陵八家」、鄭燮ほか「揚州八怪」といわれる、個人の表現を重視した画風を追求する画家も少なくありませんでした。

中華民国成立後は、ヨーロッパ、日本などへの留学経験者、各地に作られた美術学校出身者(学校派)が画壇の主流を占めるようになっていきました。この頃の代表的な画家には呉昌碩がいます。

中国絵画の代表作家たち

中国を代表する画家には、顧愷之、呉道子のほかに、

北宋:荊浩、李成、范寛、郭煕、許道寧、蘇軾、李公麟、米芾
南宋:董源、巨然、李唐、馬遠、夏圭、梁楷、牧谿

黄公望(元)、王蒙(元)、
趙孟頫(元):文人画を復興させた文人画家。元末四大家への橋渡しをした。
元:呉鎮、倪瓚

董其昌(明):明末における文人画の大家。南宗画を優れたものとして中国絵画の主流であると提唱した。
明:沈周、文徴明、唐寅、仇英、徐渭

清:八大山人、石涛、王原祁、王翬、惲寿平、龔賢、法若真、弘仁、揚州八怪(汪士慎・李鱓・金農・黄慎・高翔・鄭燮・李方膺・羅聘。ほかに辺寿民・陳撰・華嵓・高鳳翰・閔貞らを加える説もあり)、李方膺、趙之謙、任頤、金陵八家(一般には龔賢、葉欣、胡慥、謝蓀、樊圻、高岑、鄒喆、呉宏。前4名の代りに陳卓、蔡霖滄、李又李、武丹を入れる説もあり。さらに王蓍、王概、柳堉、高遇らを加えて金陵派と呼ぶ)。

呉昌碩(中華民国):清朝末期から近代にかけて活躍した文人画家、書家、篆刻家。詩・書・画・篆刻などに精通し、「四絶」と称賛された。篆書・篆刻の大家であり、絵は花卉・山水画を得意とした。中国近代でもっとも優れた芸術家であるといわれている。
中華民国:斉白石

現代作家:黄賓紅、潘天寿、黄秋園

などが知られています。

顧愷之

漢人王朝の東晋に仕えた画家・顧愷之は、中国史上で最初に現れた画家として「画聖」とも呼ばれています。

博学・多才な人物であり、「画絶」「才絶」「癡絶(ちぜつ)」の「三絶」を備えているといわれていました。また、肖像画や人物画に優れるといわれていたものの、人物を描くことは非常に難しいと考えていた顧愷之は、瞳を描き入れて絵を完成させる「点睛(てんせい)」の重要性を説いています。偉大な画家として知られている顧愷之ですが、描いた絵画の原本は残っていないとされています。

顧愷之の作品

「女史箴図」は、宮廷に使える女官に対し、論理道徳をまとめた「女史箴」を描いたもの。現在原本は失われており、初唐の模本とされているものがロンドンの大英博物館に所蔵。長さ349.3センチメートル、幅24.8センチメートル。全9図で構成されています。
画像引用元:wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/顧愷之)
顧愷之の絵画

呉道子

呉道子は、唐の玄宗の開元年間に宮廷画家として活躍した人物です。人物や仏像、山水などさまざまな分野で活躍したとされており、力強く変化に富んだ大型の絵画を生き生きと描いたとされています。

300あまりの仏教寺院・道教の道観の壁画を描いたものの、同じものはひとつもなかった、という逸話も残されています。また、山水画を多く描く中で山や岩の立体感を表す画法を作り出し、中国絵画の様式を進展させた画家としても知られています。

呉道子の作品

呉道子の「孔子像」。呉道子が描く絵は、線に抑揚や強弱をつけることによって立体感や躍動感を感じる点が特徴です。この画法は、後世の絵画に大きな影響を与えました。
画像引用元:wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/呉道玄)
呉道子の絵画

董其昌

董其昌は中国・明時代の官僚であるとともに、書画で優れた功績を残したことでも知られています。幼少期から書や美術に興味を持ち、13歳の頃には科挙の童試に合格。さらに17歳から書を学び始めています。その後高級官僚として働きながら書画の製作を行い、23歳の頃に初めて山水画を試みたといわれています。

董其昌の画法は、伝統の画法を大切にしながら、躍動感のある風景などを表現している点が特徴。画を学ぶ場合には、名作といわれる画を模倣するだけではなく、そこに自分の意思を取り入れることを大切にしていたようです。

董其昌の作品

董其昌は山水画を得意としていました。「婉孌草堂図」は、董其昌代表作品のひとつ。独特の描写によって木や山の形を表現しているのが印象的な一枚となっています。
画像引用元:wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/董其昌)
董其昌の絵画

買取市場でも人気の高い中国絵画

中国絵画の人気が高い理由は、独特の絵画の技法にあります。ぼかした墨で濃淡を作り出して表現される白黒の風景の味わい深さや、絵の中に絶妙なバランスで配置された繊細なモチーフなどは、まるで生きているかのようなリアリティを感じさせてくれるでしょう。

中国絵画は図画とも呼ばれており、線描という墨を主体とした構図に色をのせる技法が中心です。見た目通りの風景を模写するのではなく、作者の概念で表現されていて、時には影をつけないことも。これらは日本やヨーロッパの絵画とは一線を画した特徴的な技法であるため、価値が高まっています。

中国美術の絵画の買取相場は、30,000円~4,000,000円ほど。中国では、中国絵画を海外へ持ち出すことが制限されています。日本の収集家たちが中国美術をコレクションしようと思ったら、日本国内や中国以外の国で探さなくてはなりません。そのため、日本国内で買取依頼をすると高額査定になることが十分にあり得るのです。

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