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元における美術の歴史を紹介します。

ユーラシアを席巻したモンゴル帝国

チンギス=ハン

13世紀初頭、モンゴルの遊牧部族であったチンギス=ハンが「モンゴル帝国」を建国します。

その領土はモンゴル高原から中国北部、中央アジア、西トルキスタンにおよびます。

さらに二代目のオゴタイ=ハンは中国の金を滅ぼし、ヨーロッパ遠征を行い、キエフ公国を滅ぼし、さらにポーランドやハンガリーにまで進出します。

四代目のモンケ=ハンは、チベット、雲南を制圧、さらに西アジア遠征を行い、アッバース朝を滅ぼしました。こうしてモンゴル帝国は、ユーラシア大陸の東西に延びる、世界史上最大の領土を持つ国になったのです。

フビライ(クビライ)=ハンは、モンゴル帝国五代目のハンです。フビライは、それまでの遊牧生活から定住生活へと方針を転換することにし、1267年には国北部に大都を建設し、そこへ移りました。この場所はかつて「燕」の都があったあたりで、後に北京として発展します。フビライは国名を「大元」と中国風に改め、国号も「元」とします。

フビライ=ハンに仕えたマルコ・ポーロ

フビライ=ハンは、1267年から大規模な南宋征服を開始します。南宋の首都・臨安を攻略し、1276年には完全に南宋を滅ぼしました。フビライ=ハンの野望はそれだけにとどまらず、引き続きベトナム方面へ侵攻。高麗も属国とします。

彼が南方攻略を目指したのは、中国と東南アジア、さらに日本を支配し、一大海上国家を建設しようと考えたからだといわれています。元の成立で東西交渉が活発となり、「東方見聞録」を残したヴェネツィアの商人、マルコ=ポーロは宮廷に使えていたそうです。

趙孟頫による漢文化の復興

元の文化人としては、元の文化のなかで漢文化の伝統を維持した趙孟頫が知られています。趙孟頫は書と絵画に優れ、南宋の院体画に対して文人画を復興させたことから、元末四大家(黄公望、王蒙、倪瓚、呉鎮)が誕生します。

モンゴルの支配下において、江南地方の漢民族は科挙の受験資格が無く、上級官僚への道が閉ざされていたため、黄公望ら知識人たちは絵画の分野で才能を伸ばしたのです。

もうひとつ、この時代の文化として特徴的なことは、戯曲・小説が発達し、民間に根付いたこともあげられます。特に戯曲の一種である「元曲」は中国文学上重要なもので、日本でも有名な「西遊記」がその代表作といえます。

元の文化や美術家を紹介

山水画

塞外よりやってきたモンゴル民族によって約100年支配された時代を「元」といい、この100年の間に美術の各方面において大きく変化がもたらされたといわれています。

絵画では異民族の支配の中で伝統的な山水画の様式が確立し、文学では中国文学の最高峰に位置づけられる「元曲」が隆盛を極め、後の中国の文学に大きな影響を与えます。

元代美術の文化や活躍した美術家についてご紹介します。

元の絵画

初期は趙孟頫、中期から後期にかけては元末四大家(黄公望、王蒙、倪瓚、呉鎮)らが文人画を復興させ、山水画の様式が確立したのが元代です。

元代の絵画は異民族の支配化にありながら、中国伝統絵画の継承に努めた復古主義の時代と言われています。元末四大家の山水画は、後の明の時代にも絵画の規範とされ後代へと引き継がれていくことになります。

【趙孟頫】

詩文に音楽に書画、マルチにその才能を発揮した文人画家です。代表作に『鵲花秋色図巻』『幼輿丘壑図巻』などがあります。

【元末四大家】

黄公望は50歳過ぎから頭角を現し、3年かけた『富春山居図』が代表作です。呉鎮は着色なしの水墨画に注力した孤高の美術家で、代表作は『洞庭漁隠図』など。

【倪瓚】

余白を多く用いる「蕭散体」(しょうさんたい)という画風を得意としました。王蒙は逆に細部の細かい描写が特徴で、『青卞隠居図』などの代表作があります。

この他にも銭選、道釈人物画で有名な顔輝、南宋院体画の流れを汲んだ孫君沢などが活躍しました。

元曲(戯曲)

戯曲とは、英語でチャイニーズ・オペラと表現されるように、踊りや歌を交えて演じる舞台演劇のことを指します。

本格的な戯曲が完成したのが元の時代と言われており、「元曲」と呼ばれ漢文・唐詩・宋詩に並ぶ中国の代表文学と位置付けられています。

元曲は基本的に4つの折(劇でいう「幕」と同じ意味)で構成され、劇には各役者が登場するが、歌うのは原則として1人のみです。演劇として原作に大幅な編集が加えられたものも多く、ほとんどがハッピーエンドで幕を下ろします。

いまも中国戯曲史上最高峰とされている作品が多く、代表としては関漢卿の『竇娥冤』『拝月亭』、馬致遠の『漢宮秋』、王実甫の『西廂記』などです。関漢卿・馬致遠・白仁甫・鄭光祖・王実甫・喬吉の6人を合わせて元曲の六大家と呼ばれています。

日本でも有名な中国の4大寄書(『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』)の源流も元時代に確立されました。少しずつ形を変えていきながら明代に今伝えられる話がほぼ完成することになります。

明以降の中国文学史に大きな影響を与えたのが、元代の代表文学「元曲」だったと言えるでしょう。

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