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王文治(おう ぶんち)

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中国、清朝中期の有名な書家で、若い頃から詩文や書法で名声を得ている人物です。代表する著作として「夢楼詩集」や「快雨堂題跋」などが挙げられます。

1770年では官吏登用試験を合格して進士となり、さらに、殿試に第三位で合格して翰林編集、侍講を得て雲南臨安知府の知府まで昇りつめています。しかし、官僚生活を嫌うようになり、その後しばらくして退官、残りの人生を市中の庶民として過ごし、73歳で生涯を終えました。

王文治の生い立ち

江蘇省丹徒出身の清朝を代表する文人で、音楽や詩、書など様々な文芸に優れていましたが、特に能書家として有名な人物です。

1756年に、王文治は琉球への外交使節の補佐として来日しています。外交を和やかに円滑に行なうため、文芸に優れた王文治が選ばれたとされています。旅先で書かれた書物は琉球人に珍重され、現在でもなお沖縄県立博物館などで大切に所蔵されています。

明治に入ってからは王文治の詩集が日本で刊行されたことがあり、その時代の文人として日本でも広く知れ渡っていったのです。

王文治の書は、皇帝である乾隆帝からも素晴らしい評価を得ていて、既に退官しているのにも関わらず、再び召し抱えようともしたとされています。主に行楷書が中心となっていて、淡墨にも関わらず、力強さと逞しさ溢れる文字が、一定の間隔で緊密に組み立てられているため、類を見ない美しさが一文字ずつ表現されているのが特徴です。

代表作

  • 快雨堂詩翰(かいうどうしかん):1783年
  • 琉球へ遣いとして来日していた当時の内容を詩にして、耕雲という人物に与えた帖です。内容の末尾にも、当時海を渡るときに使用される「曾経滄海」の印が捺されているのが証拠になります。内容は、王文治の代表作である「夢楼詩集」にも見えるそうです。内容は王文治の独特な美しさを残しつつ、明末に活躍した董其昌(とうきしょう)の影響により、軽佻な傾向が見受けられます。

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