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唐の時代、気品あふれる書風が愛され「君子の書」とまで評価された虞世南(ぐせいなん)。代表作には、ふんわりとした雰囲気の中に凛とした気品と強さがあると言われた「孔子廟堂碑」があります。虞世南とはどんな人物で、作品はどうして書かれたのか。生い立ちや業績、人格を調べて、なぜ虞世南の作品がここまで愛されるようになったのか紹介していきます。
虞成南は欧陽詢・褚遂良・顔真卿とともに「唐の四大家」と呼ばれています。
虞世南は浙江省に生まれ、幼いころから書才と学才を持つことで知られていました。兄の虞世基とともに雇野王のもとで学び、唐の皇帝・李世民(太宗)に仕えます。
欧陽詢とともに「弘文館学士」(貴族の師弟に対する学校の教授)を務めるほか、秘書監も任され、太宗の顧問役として名臣と言われました。
相手がだれであっても臆さず、卑屈にならない、正義感の強い人間だったと言われています。人格は太宗からも高く評価され、信頼を一心に集めていました。その真っすぐな人格は、書家としての虞世南の作品に表れています。
虞世南が72歳のときに書いた楷書。626年に唐の太宗が即位してすぐに、文教復興の第一歩として長安の孔子廟を再建することを命じました。碑文には孔子の徳が讃えられており、孔子廟を再建する理由が書かれています。素朴でやさしい印象の中に美しい気品を感じる作品であると言われ、その品格は「唐代第一」とも称されています。
630年ごろに書かれた楷書。629年に太宗が戦没者の冥福を祈るために陝西省に寺を建て、朱子奢が考えた文章を虞世南が碑文に記しました。高さ2.58メートル、幅1.05メートルと碑文の中でも大きい分類といえます。古くから虞世南が筆者と言われていますが、不明瞭な点が多く確証はないようです。
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