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黄庭堅は、中国北宋時代の書家・詩人です。
書家としては蘇軾、・米芾・蔡襄とともに「宋の四大家」に名を連ねています。また、宋代の詩人としては蘇軾・陸游と並ぶほどの腕前をもっていたと名高い人物です。
「詩書画三絶」と讃えられ、師の蘇軾と並んで「蘇黄」と称されました。
黄庭堅は、特に草書を得意としていました。書を学び始めて20年ほどは名誉や金銭にひかれる気持ちを乗り越えることができず、これを脱することが若かりし黄庭堅にとって最大の困難だったといわれています。
黄庭堅は、1066年に23歳で官僚になりました。旧法派であった黄庭堅は、しばしば新法派と意見を対立させたため、河南や北京などの地方に赴任させられたそうです。しかし地方への赴任は黄庭堅にとって絶好の機会でした。
豊かな自然に囲まれて創作活動に没頭できる時間が増えたからです。むしろ黄庭堅の芸術的な才能を芽吹かせるために必要な環境に身を置くことができたといえます。このころ、汴京で師である蘇軾と出会って門下となり、多くの文人達と交友する機会を得ました。
1085年に新法派を支えた神宗が没すると、旧法派が実権を握るようになります。旧法派の一人として再び中央官僚として返り咲くも、紹聖元年(1094年)以降、再び新法派が勢いづいてくると、官位を下げられて遠方に左遷されてしまいます。
1103年、讒言されて宜州への流刑に処され、61歳の時に病気で亡くなりました。
1101年5月、劉禹錫による「経伏波神祠詩(ふくはしんしをへるのし)」の一首と自跋を書いたもの。全長820mもあり、晩年の傑作として名高い大作です。
黄庭堅の師である蘇軾の作品「黄州寒食詩巻」に対する跋です。この跋も黄庭堅の作品では傑作に数えられます。
唐の李白による「憶旧遊寄譙郡元参軍詩(きゅうゆうをおもい しょうぐんげんさんぐんによするのし)」の一首を草書で書いたものです。黄庭堅の書の最高傑作の一つといわれています。
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