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万暦赤絵を含む、中国明代の美術を紹介します。
ユーラシアに勢力を拡大したモンゴル帝国も、フビライ=ハンの死去以後、雲行きが怪しくなってきます。フビライ=ハンの孫・6代成宗(テムル)が即位13年で急死。子供がいなかったために帝位継承で問題が起きますが、7代には甥のカイシャン(武宗)が即位します。しかし、カイシャンも数年で死去したため、兄弟の8代アユルバルワダ(仁宗)、その子供のシディバラ(英宗)へと続きます。
このような帝位継承をめぐって、皇太后などの介入も問題となり、元では身内の争いが絶えませんでした。最後の皇帝・順帝が即位するまでの40年間に9人の皇帝が交替。継承にかんする権力闘争は政治不安を増していったのです。
もちろん、人々の不満や不安も高まりました、そんな折1351年、貧しい農民を主体とする仏教の一派「白蓮教徒」により「紅巾の乱(頭に赤い布を巻いていたことから名づけられた。「白蓮教徒の乱」ともいう)」が起こります。紅巾の乱の影響は全国に広まり、大規模な反乱に発展します。
反乱勢力の中から登場した「朱元璋」は、最初は反乱に加わっていましたが、地主層に支持を広げる過程で、反乱を鎮める側にまわります。1366年には反乱を鎮定。1368年、朱元璋は皇帝となり、「明王朝」を開きました。元はモンゴル高原に引き下がりますが、「北元」を称して存続し、それ以後も明の脅威として存続します。
明代の文化の担い手は、知識人や支配階級だけにとどまらず、庶民階級や来航してきたキリスト教カトリックの一派、イエズス会の宣教師も影響を与えました。朱子学を官学としますが、中期には王陽明が現れ、「知(知識)」と「行(実践)」の統一を説く陽明学を成立します。
絵画の分野では、明の末期に登場した「董其昌」が代表的です。董其昌は進士に合格した官僚で、宋の米芾などの画法を学び、唐代からの「文人画」の系譜を告ぐ絵を「南宗画」とし、それに対して職業画家の系譜に「院体画」を「北宗画」と名付けます。さらに両者を比較して、南宗画を優れたものとして中国絵画の主流におきました。これをきっかけに、中国絵画においては文人画、つまり南宗画が主流となります。陶芸面では、宋代から続く景徳鎮など、優れた陶磁器がつくられます。中でも宣徳年間の「染付」、万暦窯で焼かれた「万暦赤絵」などは、今でも世界で愛好されています。
文芸面では小説が普及し、「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」の「四大奇書」が特に有名です。
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