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科挙への挑戦、兵法研究、書家としての成功、評論、友人・師匠との出会いまで、生涯を通じて多彩なチャレンジを続けた包世臣。このページでは、包世臣の人物と生涯、書風、代表作などについて紹介しています。どのような人物だったのか、そして何を残したのか、中国美術に興味のある方は要チェックです。
包世臣は清朝時代の1775年生まれ、安徽省涅県出身の書家・評論家です。5歳の頃から父に経学を学び、8歳で姉を詠むなど、早くから学問と文芸に秀でていました。15歳で科挙を受け、不合格。その後、苦心して勉学に励み43歳で郷試に合格しますが、上級試験に当たる会試には不合格し、能吏になる道を諦めます。
一方、人との出会いには大変恵まれていた包世臣。26歳のときには科挙試験会場で生涯の友となる張翰風(張琦)に出会うほか、28歳のときには書において生涯の範とする鄧石如に、さらに41歳のときには黄乙生に出会い、それぞれの人物に影響を受けながら、生き方を磨き、書家としての見聞を広めていきます。書においては、蘇軾、二王、孫過庭を学びました。
そして1855年に逝去するまで精力的な活動を続け、『中一勺』『芸舟双楫』『管情三義』『斉民四述』など多くの著作を上梓すると共に、呉熙載をはじめとする多くの門下生の育成にも力を尽くしました。享年80歳。
書家としての包世臣は、彼が自ら師と仰いだ鄧石如や黄乙生の影響を強く受けています。とりわけ鄧石如に関しては、彼の没後19年目に「国朝書品」を著し清代の書家の格付けを行った際、鄧石如の作品を数多く列挙し、清朝第一に据えるなど絶賛しました。一方、包世臣の作品は楷書・行書・草書が中心で、「気満」という概念や、揺れる水中を想起させるような行草が書風として定着しています。包世臣は自ら優れた作品を生み出していますが、同時に『国朝書品』で清代の書家の格付けを行ったことから分かる通り、書壇においては評論家としてのプレゼンスも強かったといえるでしょう。彼が書法にもたらした概念「気満」は形式にとらわれない自由さを指していますが、その概念は作品だけでなく、生き方にも強く表れていたといえます。
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