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中国最古の王朝の美術に関して解説。
中国の歴史は、世界の古代文明のひとつ、紀元前6000年前に起こった「中国文明(黄河文明、長江文明)」に始まるとされています。稲作中心の農耕社会が広まる中、やがて「邑(有力なものは大邑という)」と呼ばれる都市国家が生まれ、そのような邑の連合体から形成された王朝が「殷(商とも記される)」だと考えられています(このような国家形態を「邑制国家」という)。
殷は「中国最古の王朝」だとされていますが、司馬遷の『史記』には、殷王朝に先立つ王朝「夏」について記されています。黄河の治水で知られる始祖・禹に始まる夏王朝は、最後の天子・桀が暴君であったため、殷の湯王に攻められ滅亡。殷が起こったとされています。甲骨文字などが出土していないので、夏は今まで伝説の王朝だと考えられていましたが、近年の二里頭遺跡発掘、研究などにより、実在していたとする説がかなり有力になっています。
殷王朝(前17世紀末または前16世紀初頭~前11世紀)は、黄河下流域(現在の河南省周辺)を中心に繁栄。卜占による神権政治を行います。甲骨文字を発明、優れた青銅器製造技術を持つなど、高い文化を有していましたが、第30代の紂王のとき、悪政に耐えかねた(諸説あり)周の武王を中心とする諸侯たちによって滅ぼされました。
殷の滅亡後、武王は太公望や周公旦(武王の弟)らとともに周王朝をたて、名君と呼ばれた父・文王の事業を継承、封建制を作り上げ、長期にわたって支配秩序を維持します。
殷王朝の文化は、中国美術のルーツといっても過言ではありません。殷で行われた卜占(殷王が戦争や狩猟の際に使われたので「卜辞」とも記される)用の亀甲や獣骨に刻まれた文字は「甲骨文字」と呼ばれ、金文(周時代の青銅器に彫られた文字)をはじめ、篆書(前3世紀末)、隷書(3世紀頃)、楷書(7世紀頃)の成立に影響を与えています。
また、前3000年頃に西アジアで使用が始まったという世界最初の金属器「青銅器(銅と錫の合金で作られた器物)」も、前2000年頃、中国に伝わり、殷周時代(前1500年頃~)に発展します。
殷の時代は祭祀に使われることが多く、龍、鳳などの空想上の動物、虎、象、羊、サイ、象といった実在の動物を描いた青銅器に酒を注ぎ、肉のスープなどを煮込んでいました。周の時代になると、当時の様子を青銅器に甲骨文字で彫り込むようになります。それらは現在「金文」と呼ばれ、周を識る貴重な歴史資料となっています。
中国の青銅器は殷・周時代に数多く製作され、世界史の上でも比類ない発展を遂げました。その特徴は独自の形状、様ざまな文様、高度な技術などにあり、中でも独特な意匠が「饕餮文」です。「饕餮」というのは中国神話に登場する、大きな口、誇張された目、曲がった角や虎の牙を持つ怪物(蚩尤の頭という説在り)のこと。
「財を貪る=饕」「食を貪る=餮」とのことから、転じて「魔を喰らう」とされ、魔除けの意味を持つようになったそうです。古代中国の青銅器は、当時の歴史を研究するうえで重要な史料であるとともに、美術的価値の高い工芸品でもあります。なお、ある鑑定番組で紹介された「饕餮文が施された殷王朝の青銅器」は国宝級の作品で、なんと2億円の値がつけられていました。
殷・周(戦国時代)の代表的な文化といえる青銅器文化の流れと、その時代の美術家の存在について見てみましょう。
殷・周(戦国時代)の文化を示す代表的なものとして、青銅器の存在が挙げられます。「どちらの時代も青銅器文化」という点では同じように見なされることも多いですが、青銅器として、どちらが高い価値を持っているかとなると、これは殷時代のものに軍配が上がります。
なぜなら、周時代の青銅器は、基本的には殷時代の技術を受け継いではいるものの、簡素なものになっている、という傾向が強いからです。
青銅器に刻まれる「金文」については、占いの結果を残す殷時代と比べ、記録や契約内容を残す周時代の方が長い文章を刻むことが多かったのですが、美術品・芸術品として見た場合、出来の緻密さで言えば殷時代の方が上だったのです。
また、殷時代の青銅器は、前・中・後期でそれぞれ特徴が異なります。前期である二里頭(にりとう)期は、まさに青銅器文化が芽生えた時代。中期にあたる鄭州(ていしゅう)期になると、いよいよ「殷の青銅器時代」を象徴する、祭祀向けの精密かつ大型な青銅祭器が作られるようになります。
そして後期にあたる安陽期には、青銅で祭器だけではなく武器まで作られるようになり、青銅の活用の幅が、より広がったのです。このように、殷時代の青銅器は「青銅器文化が進化していく歴史そのもの」を示す貴重な資料ともなっている側面があり、これも殷時代の青銅器の価値を後押ししているといえます。
これに対して、周時代の青銅器には、殷時代のような飛躍的な成長は見られずむしろ簡素化した、という弱点があるのですが、「記録的な内容の文が金文として残されている」という点では、殷時代のものとは違った興味深さ・魅力があるといえます。
殷・周(戦国時代)を代表する美術家の名前等は、詳しくは分かっていません。
しかし、この時代から、青銅器の鋳造の技術を持つ者は当然存在したはずですし、さらに、印章を作る「篆刻(てんこく)家」も存在したと思われます。
まず、殷王朝後期の首都であったとされる「殷墟」からは、殷璽(いんじ)という印章が見つかっています。ただ、これについては「出土状況にあいまいな点があり、本当に殷時代のものかは不明」と、否定的な意見もありますので、この時代に確実に篆刻家がいた、とまでは言い切れません。
しかし、周時代の後期である戦国時代には、その時代のものと確認されている印章が多数見つかっています。文字以外に絵が入った印章が多かったとのことから、この時代には印章を作る篆刻家が存在したと考えて間違いないでしょう。
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