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中国では生活品、装飾品として古くから漆器が作られ、日用品として利用されてきました。漆器とは、ウルシの木の幹から採取した樹液を精製して作られた器を指します。漆の産出量は中国が多く占めており、様々な種類の中国漆器が作られています。
漆器は耐久性や耐水性、耐熱性に優れており、日常使いの椀や豪華な重箱など、中国の日常や文化、歴史を表す様々な漆器があります。
浙江省余姚市の河姆渡遺跡の第三文化層で、最古の中国漆器の椀が発掘されました。おおよそ紀元前7500~7400年のものとされており、その椀の外壁には朱色の塗料が塗ってあったと言われています。また紀元前1046 ~ 前771年前後の東周期には、多くの漆器が発見されています。
春秋戦国時代には漆器の使用が頻繁であり、さらに芸術性を重視した明快で華麗な色、自由な飾り紋様、素材の豊かさや多様性が光り多くの人々に広く好まれていました。
秦漢時期の漆器はほとんど春秋戦国時代の作品を踏襲していましたが、さらに改善して生産の規模を拡大したと言われています。秦時代の漆器は形が上品で美しく、紋様も多種多様でした。
漢時代の漆器は、戦国時代と秦時代の基礎に基づいたものに加え、漆生産の専門管理部門も出現しました。さらに漢王朝時代には、漆器職人の手によって作られた精巧な彫刻が施された漆器が多数見つかっており、この時代は中国漆器の黄金時代とも言われています。
宋、元、明、清時代の漆芸の特徴は、素朴で地味であり、精美無双な点です。この時期の漆器は質が非常に優れており、形も優美だったと言われています。明、清時代は漆器の第二次黄金時代であり、この時期の漆器は皇室や豪族、貴族、平民たちの生活用品になっていた。
民間に大小含め様々な工場が現れ、飾り技法や紋様作り、色彩、形や様式などはさらに種類が豊富になりました。この時期から中国の漆の技法が中国国内から、韓国や日本、東南アジアへと広がりました。
漆盤(うるしばん)はおもに食べ物を盛る実用の器として使われ、遅くとも戦国時代後期頃、中国に出現しました。秦から前漢時代にかけて普及し、前漢時代には巻雲文を主体とする文様の漆器や簡便な装飾の漆器が発達しました。
黒と朱を塗り分けただけの簡便な装飾であり、楽浪の彩篋冢や王光墓など、漆盤には人の名前のような字を記したものも出土されました。漆盤は、前漢中期から後漢前期にかけて作られた漆盤の典型例として注目されています。
漆塗台付灯 (うるしぬりだいつきとう)は、木胎漆塗りで部分的に青銅製金具をはめこんだ台座と青銅製の灯さんでできています。台座と灯さんの間に四角い支柱をさして組み立てます。
台座は端や胴部に青銅製金具をはめ込み、頂部にはも装飾された青銅製金具をはめこみます。灯さんは平皿のように浅く円形であり、中央に小さな穴が空いています。漆塗りの台座のあつらえた灯は当時の高級品であり、数も少なかったことが予想されます。
漆耳杯(うるしじはい)は、平面が楕円形の木胎漆器であり、長側に取っ手がついています。上から見るとその取っ手がひとの顔の両耳に見えることから、名前に耳杯と付いています。
全体に黒漆を塗り、朱色と褐色に近い色で鮮やかな印象を醸し出しています。耳杯は紀元前5-前3世紀後頃、お吸い物や酒を入れる容器として登場し、秦・漢時代に盛んに作られた歴史があります。
紀元6世紀頃に交通手段が発達したことをきっかけに日本と中国の交流が栄え、漆器と漆工芸の技術が中国各地から日本へ伝わっていきました。それ以来中国の漆芸の技法は日本へ伝わり、中国の職人によって漆芸の技術を伝播し発展させてきた歴史があります。
宋時代には杭州の彫漆が日本へ伝わり、鎌倉時代の日本職人がそれを真似て制作し始めたと言われています。
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