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藍瑛は、16世紀、故郷である杭州の伝統的な構図法に、江南の文人画法を取り入れて新しい画法を確立した画家です。その画風は多くの弟子たちに継承され、武林派として現在に伝わっています。
江戸時代の日本にも藍瑛の作品が多く入ってきており、当時の日本画家にも多大な影響を与えました。
藍瑛とはどのような人物なのか、作品はどのようにして生まれたのかなど、生い立ちや作品から藍瑛が愛された経緯を紹介します。
藍瑛は1585年(明末)、杭州浙江省に生まれ、地元の伝統的な画を学びました。さらなる画の向上を目指して江南の各地を遊学し、文人であった董其昌(とうきしょう)や陳継儒(ちんけいじゅ)に目を掛けられます。
そこで彼らの所蔵する古画や文人画の理念を学び、杭州の伝統的な浙派(せっぱ)の構図法に、江南で当時流行していた文人画法を取り入れた、独自の「武林派」という新しい画風を確立します。
晩年に故郷の杭州に戻って多くの弟子を育て、その画風は継承されていきます。
一見しただけで「武林派」とわかる特色ある画風は、江戸時代の日本にも多く伝わり、池大雅や谷文晁などの文人画家たちにも影響を与えています。
杭州の伝統を継承しつつ、江南の文人画法を取り入れた画風で、山水を得意としていた藍瑛。武林派の始祖と呼ばれた画風は特徴的で、壮大な構図の作風を完成させました。
北宋末の趙大年(ちょうたいねん)の筆法にならい、岸辺に花が咲く水郷風景を爽やかに描いています。
ともに杭州で活躍していた孫杕(そんてい)との合作で、孫杕が竹、藍瑛が岩を描いた作品です。萬生という人物に贈ったものとされ、職業画家のみならず、文人としての一面も見て取れます。
この図軸は、元時代に活躍した高尚書こと、高克恭(こうこくきょう)に倣って描かれたものです。米法山水という手法は、輪郭をあまり描かず、米点と呼ばれる墨点で表現する技法のことで、湿潤な山水画の表現に適しており、この図軸でもさわやかな景色を表しています。
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