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蒲作英(ほさくえい)

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こちらの記事では、海上画派のひとりとして知られている蒲作英(ほさくえい)をご紹介します。絵画のほかにも、書で数多くの作品を残している蒲作英の生い立ちや作風、代表作などの情報をまとめました。蒲作英はなかなか日本ではその作品を目にする機会が少ない画家ですが、中国美術に興味がある、という方はぜひチェックしてください。

「梅竹、花卉、山水を得意とした画家」蒲作英の生い立ち

蒲作英は、1832年に中国の浙江省で生まれました。清代末期の海上画派のひとりとして知名度の高い画家であり、詩や書、画、印に腕をふるった呉昌碩のほか、何照伯、合少夫、徐星州との交流を持っていたことでも知られています。

海上画派とは、一大商業都市の上海を中心に活躍し、個性的な作品を生み出した芸術家たちを指しており、「海派(かいは)」と称されることもあります。外来文化と清中期に発展した金石学を尊び、積極的に作品に取り入れていくことによって、これまでにない新しい画風を確立しています。これらの海上画派が生み出した数多くの書や画、印は、明治から昭和にかけて日本の文化人も注目したといわれています。

このような海上画派のひとりであった蒲作英は、画家としては梅竹、花卉、山水を得意としていたことで知られています。その作風は、洗練された筆墨で、天然情緒に富んだ作風が特徴です。作品を作成する際には、作英ではなく号として、胥山外史を用いることもありました。また、絵画のほかに書の作品も多く制作しており、こちらも洗練された運筆が特徴となっています。その人柄としては、名声や富には関心がなかったことでも知られており、1911年に79歳で亡くなりました。

蒲作英は多くの作品を残しており、日本国内においても高い人気を誇る作家です。掛け軸などによってその存在が知られているものの、日本国内では作品数が少ないためになかなか目にする機会は少ないと考えられます。

代表作

蒲作英は非常に多くの作品を残した作家として知られていますが、絵画の代表作としては下記の3作品が挙げられています。

  • 「桃花图」
  • 「萱花图册」
  • 「墨竹」
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