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曽国藩(そう こくはん)

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こちらの記事では、中国清代末期の軍人、政治家として知られる曽国藩(そうこくはん)について解説しています。その生い立ちなどのほか、彼の死後に当時の清朝皇帝・光緒帝の詔勅によって手記などがまとめられた「曽文正公全集」も紹介していますので、興味のある方はぜひ参考にしてください。

「中国清代末期の軍人、政治家」曽国藩の生い立ち

曽国藩(そうこくはん)は中国清代末期の軍人、政治家です。字は伯函、号は滌生(てきせい)、諡は文正。太平天国の乱を勝利に導いた英雄として知られています。

1811年11月26日に湖南省湘郷県(現在の双峰県)の小地主だった曽麟書の長男として誕生し、1838年に家系で初めての進士に合格し、礼部右侍郎(れいぶうじろう)に昇進しています。

曽国藩は、1852年に母の喪に服するため帰省した際、郷民を編成・訓練を行い太平天国討伐の命を受けました。このとき、曽国藩は多数の在郷紳士の参加と協力を得ることによって、湘軍(しょうぐん)と称する部隊を編成。この部隊を指揮することによって江西、安徽(あんき)、浙江(せっこう)、江蘇の太平軍を撲滅し、さらに1864年に太平天国軍の首都天京(南京)を攻略し、太平天国を滅亡させています。この功績により、同年に侯爵を授けられました。また漢民族としては初めて、地方官としては最高位に当たる直隷総督を務めています。

さらに洋務運動の中心人物でもあり、洋式の兵器工場の設立・留学生の派遣などを行うとともに後進の育成にも力を注ぎ、幕下から李鴻章・左宗棠など多くの人材を輩出。1872年に61歳でこの世を去りました。

また、曽国藩は書家として知られている何紹基(か しょうき)とも親交があり、格調高い作風の書が残されています。また、日記や手紙を多数残していたことから、死後「曽文正公全集」が編纂されました。

代表作

  • 曽文正公全集

「曽文正公全集」とは、曽国藩の死後、当時の清朝皇帝・光緒帝の詔勅により高官数十名が組織され、曽国藩の生涯の著述をまとめて刊行したものです。この全集には、さまざまな内容がまとめられていますが、その中には家族や弟子に宛てた書簡なども含まれています。曽国藩の思想や学問、実務、家族教育などさまざまな分野が網羅されていて、人格や思想を知る上で重要な資料とされています。

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