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林散之(りんさんし)

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こちらの記事では、趙樸初、啓功とともに「詩書画現代三絶」と称され、中国芸術界に大きな影響を与えたといわれる林散之を紹介しています。どのような人物なのか、また代表作についてもまとめていますので、ぜひ参考にしてください。

「詩書画現代三絶」と称される林散之の生い立ち

江蘇省江浦県出身の書道家、画家です。長年の努力と研究の末「林体」と呼ばれる独自の草書スタイルを確立し、中国の芸術界に大きな影響を与えたといわれています。

1898年に江蘇省南京市の農家に生まれた林散之は、幼い頃から絵画や書画を好んでよく学んでおり、若くして才能の片鱗を見せていたと伝えられています。その後30歳の時に上海に移住し、山水画家である黄濱虹に師事し、およそ2年の間絵を学びました。独立してからは各地を転々としながら、数多くの詩や書画を制作し、1955年には代表作のひとつである「江浦春修図」を発表しています。画家として人気が出始めたのは1947年頃のことであり、この頃から合肥工業大学の教授として美術と文学を教えるようになりました。

その後、下級官僚や副市長を務めるなど政治の世界でも活躍しましたが、政界から引退して美術の道に戻り、江蘇省国画院の絵師として制作活動を行いました。

1972年に開催された中日書道交流選抜にて林散之の作品が大きな注目を集めたことから、急速にその名が知られるようになりました。「当代草聖」の称号を獲得したことに加えて、趙朴初、啓功などとともに「詩書画現代三絶」と称されており、現在も高く評価されています。1989年に91歳で息を引き取りました。

代表作

  • 中日友誼詩

林散之第一の書と讃えられている作品。1975年に日本の書道訪中団が南京を訪問した際に、林散之に訪問したいと申し出たことから、烏江から南京に出向き日本の友人を迎え、4編の詩を作りました。そのうち1編の詩句を描いたものが「中日友誼詩」であり、のちに人々の賞賛を集める作品となっています。

  • 江浦春修図

1955年完成の墨画淡彩の作品です。南京市に実在した江浦県を取材して描かれたものであり、戦後の生活情景を表現した作品として注目を集めました。こちらの作品は、南京市の「求雨山文化名人紀念館」に所蔵されています。

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