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祝允明(しゅくいんめい)は江蘇省長洲出身の書家です。字は「希哲」、号は「枝指」「枝山」など。文徴明とともに蘇州の書壇を代表する書家であり、「呉中四才子」「呉中三家」と呼ばれた祝允明。どのような人物で、どのようにして作品が書かれたのでしょうか。生い立ちや業績、人格など、なぜ祝允明の作品が後世まで愛され続けるのか紹介します。
明代の書家・詩人である祝允明は、幼少期から「神童」と呼ばれるほど、類い希な才能に恵まれていました。生まれつき右手の親指が1本多い「多指症」で、自らもこの特徴を隠すことなく号にも「祝枝山」の名を付けています。
4〜5歳ですでに書を書いており、8〜9歳には詩文を作っていたとされます。
名門の家系であり、祖父に草書、義父には楷書を直接学んだことで、後の多彩な書風の基礎ができたのでしょう。
30代前半には官僚登用試験の地方試験に合格し、「挙人」となりましたが、その後の試験には何度も失敗し、晩年にようやく広東省の県令や南京の通判などの官職に就きました。
同じ蘇州出身の唐寅(とういん)、文徴明(ぶんちょうめい)、徐禎卿(じょていけい)とともに「呉中四才子」と呼ばれ、当時の文化界の中心人物として活躍しました。
蘇軾が書いた普及の名文である「赤壁賦」を草書で書き写した作品です。「狂草(きょうそう)」と呼ばれる奔放な草書体が最大の特徴で、力強さとリズム感、伝統と個性の融合、文字の大小・濃淡、行間の重なりなどの構成の妙で、祝允明の集大成ともいえる重要な作品です。
奔放な草書である狂草とは対極にある、小楷の最高傑作のひとつといわれている作品。「黄庭経」とは道教の経典のひとつで、祝允明は傑作とされる王羲之の古典を徹底的に研究し、それを自らの手で再現(臨書)しました。祝允明は徹底的に学んだ古典の基礎が身についていることが見事に表されています。
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