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およそ中国美術の伝統を踏襲しているとは思えない独特の画風で知られる呉彬。生没年や晩年などが不詳であることも手伝い、作品そのものも謎に包まれた印象を漂わせています。ここでは、呉彬の生い立ちや代表作をご紹介していますが、リサーチすればするほど呉彬の謎めいた味わいが深まるばかり。
生没年も活動履歴も、その多くが謎に包まれている呉彬。現在でもなお情報が錯綜しているものの、恐らくは現在の中国福建省に生まれたと考えられています。
14代皇帝・万歴帝の時代(1573~1620年)には、明王朝の官吏として奉職。中書舎人という役職を得て働いていたものの、のち、16代皇帝・天啓帝の時代(1621~1627年)に、王朝批判をしたことがきっかけに解任。王朝を追放され、画家として生活するようになったと伝えられています。
なお呉彬の画業がピークを迎えた時期は、王朝を追放されてからではなく、14代皇帝・万歴帝に仕えていた頃。官吏として働くかたわらで、中国美術の歴史に残る仏教的名作を数々制作していたようです。
長崎県の寺院・崇福寺に所蔵されている呉彬の作品「仏涅槃図」も、この頃に制作された絵画と伝えられています。
円通(深い智慧を獲得して悟りの境地)に到達した仏教の聖人たちの姿を描いた作品。一人ひとりの聖人たちの表情や、その背後に広がる自然の景色には、中国美術の伝統を超越した呉彬オリジナルの感性がしっかりと表現されています。伝統を大切にしながらも、自らのインスピレーションも軽視しない姿勢・作風は、呉彬ならではのスタイル。
全長862cmを超える横長の大作。山や谷などの四季の自然風景を描いた作品ですが、その独特の描写は、一目見ただけで鑑賞者の心に深く焼き付くほど斬新です。細部にわたり一つとして似たような描写がないことも、呉彬ならではのこだわりと言えるでしょう。
我流とも言われることがある呉彬の作風ですが、この作品は、実際には「晋唐宋元諸賢」を意識して作成したものだそう。決して呉彬は我流だけの画家ではなく、むしろ中国美術の古典を大切にしていた画家だったことが分かります。
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