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高奇峰(こうきほう)

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こちらの記事では、画家としての名声もさることながら、後進の育成にも力を注いだことで知られる高奇峰(こうきほう)について紹介していきます。高奇峰の生い立ちや代表作品について紹介していきますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。

「嶺南三傑」のひとりとして数えられる画家

高奇峰(こうきほう)は、1889年に広東省広州市番禺区で生まれた画家です。画家であるとともに、19世紀の中国の画壇を支えた教育家であるという面も持っていました。高奇峰の家族も画家であり、兄である高剣父は、「新文人画の第一人者」といわれる人物。さらに、弟である高剣僧も画家として活躍したことで知られています。

このことから高奇峰は幼い頃から兄に絵を学び画家への道を進みました。さらに、16歳の頃に兄とともに東京に行き、西洋画を中心に学んだという経験も持っています。加えて、ここで日本画特有の写生法や独特な色使いについても身につけています。その後、故郷である広州に戻り、教員として後進の育成や指導に力を入れました。

また、兄の高剣父や画家である陳樹人とともに、「嶺南画派」を結成し、中国の近代画壇に大きな影響を与えました。特に日本画特有の画法を取り入れた嶺南画派の画風が影響を与えたとされており、高奇峰は「嶺南三傑」のひとりとして数えられるようになりました。

さらに高奇峰は、晩年にも後進の画家の育成を行っています。例えば広州市内に開いた美術館で絵画を教えたり、兄と審美書館の運営に携わったほか、嶺南大学名誉教授となって大学で教鞭を取っています。その功績を讃えられて中国政府主催の展覧会の「中国藝術天覽会」の中国代表として選ばれましたが、旅上で結核によって1933年に亡くなりました。享年44歳。

代表作

  • 松猿図

「松猿図」は、1917年に発表された高奇峰の代表作ともいわれる作品です。こちらの作品は、細い松の木の枝にぶら下がっている猿の姿が描かれているもの、全体的にシンプルな構図となっていますが、こちらの作品からは、日本に留学した際に培われた写生力を垣間見ることができるでしょう。また、猿が持つ毛並みなどを絶妙に塗り分けることによって、リアリティが感じられるデザインとなっている点も特徴といえます。

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